古巣に思うこと
出会いもあれば別れもある季節
と言いますが、別れは辛いもので
辛いことの方が印象に残ってしまうから、
出会いってどことなく温くて、気付いたら傍にいたってこと、割とあるけれど。
人モノ関係無しに、出会いのインパクトがある方が長く愛せるなと、20年ちょっと生きてきた中で感じつつあります。
私の中でKAT−TUNがそのひとつで
取捨選択して進む人生の中で、真っ直ぐに見つめることを止めてしまったけど、
走ることに疲れた時、彼等を見るとKAT−TUNがKAT−TUNで居てくれている揺るがない現実に落ち着けて、また走り出せる勇気を貰っていました。
大好きな仁くんが最初に居なくなったグループではあるものの、私はどのKAT−TUNも大好きです。
たまーにね、今居てくれたらとか、5人のままでーと考えたりもするけど
いつも、きっとそんな未来は無かったなって結論に至ります。
そんなKAT−TUNに私がはてなを浮べ始めたのは、充電期間が明けてから間もなく
1年8ヶ月?だったかな、思っていたより短かった印象で。
充電期間は確実に、一人一人が地に足つけて地位を築く姿が頼もしかったから、私は5年くらい独り立ちして、待ち望む形で再集合かな。と勝手に思っていた訳です。
3人のファンの友人達も、グループ活動に不安があったのもあり、ソロ活動に意欲的で
充電期間終了の時は、え?早くないか?ツアー1回やらなかっただけじゃん。と話が盛り上がったのを覚えてます。
とはいえ、KAT−TUNとしての3人を見れるのは嬉しくて、何してくれるのかなってわくわくもしました。
でも、亀ちゃんが"35歳で今の形でのアイドルは難しい 変えていかなきゃいけない"と言うニュアンスの言葉を目にして、
あと数年なのに?だったら何で充電期間前と同じ形で戻ってきたの。
ってすごく疑問、というか違和感で
そこからこの15周年の 祝い方
私は仮フィナーレと呼んでいます
本人達の口から出た訳でもない、離れた私が言うことでもないけど(大口叩いてるすみません)
めちゃくちゃ悶々してる……
寧ろ、どことなく心の準備期間をくれているような、見えない優しささえ感じます。
形にこだわりたくても、こだわれなかった
KAT−TUNというグループにHappybirthday!!!したくても、してあげられなかった彼等だから、まずはこの15周年の祝いを盛大にファンと共にしてくれていることに感謝だし、嬉しい
だけど、その奥に寂しさがあるのは 変化 が見え隠れしてるから(ここが未だに自分でも分からない)
KAT−TUNは何個 超 をつけても足りないくらい、カッコイイグループだから
もし、去り際があるとするならば、今の寂しさは、果断に勇ましく散るその時の為の大切な感情だと思って
何よりの一番はKAT−TUNがKAT−TUNであること🙋♀️
フィナーレなんて来るわけない!と今を楽しんでいる私もいれば、
形を保つのってとても苦しそうだから!もう肩の荷下ろして3人がそれぞれのステージで活躍してくれてもいいよ!って思う私もいる
書いてみたら腑に落ちたり、悶々が抜けるかなと思ったけど、そんなことなかった😓
KAT−TUNはいつでも私の落ち着ける場所
3人が幸せでありますように